神戸・北野異人館

神戸・北野異人館の景色




神戸・北野異人館の景色

= Kobe City in Hyogo Pref. =

全 90 枚

 異国情緒溢れる港街〝神戸〟を代表する観光名所〝北野異人館〟の一部とその街の景色を掲載しています。

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諸情報

神戸北野異人館:本来の異人館と呼ばれる建物は明治時代以降(主に明治時代)に欧米人が住居として建設した西洋の建築物をさしますが、日本人が住んでいた西洋館も誤って異人館と呼ばれることがあります。

 原則として、お雇い外国人(政府や民間において欧米の技術や学問、制度を取り入れるために雇用した欧米人)を除く外国人の住まいは居留地(外国人の居留及び交易区域として政府が定めた一定地域)に限られていましたが、条約改正との関連で1899年以降、内地雑居が認められ、旧居留地以外の高台などにも数多くの西洋住居が建設されるようになりました。

 その高台に位置する北野町山本通周辺に多くの異人館が建ち並んでいる事から〝北野異人館〟と呼ばれています。また〝異人館通り〟とは山本通の別称です。

 その北野町山本通は、昭和55年に種別 「港町」 として最初に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。平成7年に発生した阪神淡路大震災により異人館の約3割が失われましたが、40棟余りが今も現存し保存措置が講じられています。

 神戸市内には他にも、神戸市垂水区にあるJR塩屋駅の山手、ジェームス山と呼ばれる地域に約50棟の西洋館が現存しています。

 これらの建物のほとんどは昭和初期にイギリス人貿易商アーネスト・ウィリアム・ジェームス氏により外国人用住居・別荘として建てられたもので、現在も多くの外国人の方が暮らしています。(観光地化はされていません。)


北野天満神社:霊顕あらたかな学問の神様で親しまれている菅原道真公をお祀りする由緒ある神社です。治承4年(西暦1180年)の6月、平清盛公が、京都から神戸に都を移し、「福原の都」をつくるに当たって禁裡守護、鬼門鎮護の神として、京都北野天満宮勧請して祀られた古い歴史をもっています。風見鶏の館を見下ろす高台に位置し、神戸の街や港を一望することが出来ます。


訪れた感想

 北野の町は学生時代、通学路として毎日のようにバイクで通行していました。一方通行の道が多いため行きと帰りの道は違うのですが、その道沿いにある様々な種類のお店を横目に『ここ入りたいなぁ』とか『あ、また新しい店が出来た』などと観察しながら停まる事無く、いつも走り抜けていました。その通りからは全く見えない異人館群も、いつかは必ず訪れたいと思いつつ、何故か足を運ぼうとはしませんでした。市外・県外の友人達には〝近くの名所はそんなもんだ〟とよく言われましたが・・・。


 遊びや食事など通学以外でも、この町を訪れたことは何度もありますが、異人館を訪れることを目的にやって来たのは今回が2度目でした。関係する場所で働く方には大変申し訳なく思うのですが、2度とも有料施設には入っていません。


 今回は有料施設へも是非入ろうと考えていたのですが、真夏の炎天下の中(歴史に残る名試合が数多く繰り広げられた ’06夏の甲子園 その決勝戦 早稲田実業 対 駒大苫小牧 が引き分けた日です)ハーバーランドから三宮を抜けこの地に到着した頃には時間も遅く、体力も消耗しきっていて、一軒一軒、ゆっくりと見て周ろうという気にはとてもなれずに、ただ周れるだけを見て周ろうという状態になっていました。


 そんな状況の中で訪れた異人館ですが、その優雅な外観を見ている間は全ての疲れを忘れていました。次こそは必ず全館制覇したいと思う、今回の訪問でした。


マイフォトアルバム、関西・神戸の「ハーバーランド」「メリケンパーク」「北野異人館」の写真は、同じ日に神戸駅から北野界隈まで歩いて訪れた時に撮影したものです。


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