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但馬の小京都、今尚江戸時代の面影が残る町〝出石〟。本場信州の蕎麦の技法が伝わって 300年の月日が経った出石の地を訪れた時の写真です。
歴史と学びの小径(遊歩道)沿いの景色:兵庫県北部の豊岡市に属す出石町は『古事記』『日本書紀』にも登場する古い町です。但馬開発の祖神『天日槍(あめのひぼこ)』がこの地を拓いたと伝えられています。町名も、天日槍の宝物である『出石小刀』に起因したといわれています。
室町時代には、山名時氏が但馬を制圧、その子、時義が此隅山(このすみやま)に本拠を構えたことにより、出石は但馬の中心として繁栄しました。その後、時義の孫、宗全(持豊)は応仁の乱を引き起こし西軍の大将となりました。
しかし、戦国時代に入り、織田軍に攻められ此隅山城は落城。その後、有子山(ありこやま)に城を移しましたが再び攻められ有子山城も落城しました。その後、小出氏が領主となり山麓に平山城を築城。城下町作りを行ないました。
元禄十年(1697)、松平氏が移封されましたが宝永三年(1706)に信州上田の仙石氏とお国替えになりました。仙石氏は七代に渡り、出石藩を治めましたが、※仙石騒動により減封され明治に至っています。
※仙石騒動:江戸時代の一大事件。発端は二人の家老、仙石左京(改革派)と仙石造酒(保守派)の勢力争いでした。お家のっとりの疑いで幕府の裁きを受け、出石藩は五万八千石から三万石に減封されました。
出石神社:但馬一の宮神社として但馬開発の祖神、天日槍と八種の宝が祀られています。古くは古事記、日本書紀にも名を連ねる、山陰有数の大社です。
出石焼:透きとおるような白を特徴とする出石焼。その神秘的なまでの白さと磨かれた技が生み出す繊細な彫刻は、他に例を見ないほどで、国の伝統的工芸品に指定されています。
全国的に有名なのかどうかは解りませんが、関西では 出石=皿そば という位、蕎麦が有名です。今回の目的の一つにも〝蕎麦を食べる事〟が含まれていました。
その蕎麦屋さん探しは一苦労で、あまりにも多くの蕎麦屋さんが点在していた為どの店に入ったらいいものか店を選ぶだけでもかなり時間がかかってしまいました。
帰ってから知った事ですが、蕎麦屋さんめぐりのスタンプラリーがあり、ネット上で『全店制覇、おめでとうございます!』の文面と共にスタンプシートには約30軒の捺印がありました。制覇した方はひょっとして一日で全ての店を周ったのでしょうか?
平日に訪れた出石でしたが、本場信州の蕎麦伝来300年祭りの影響からか、お昼頃には想像以上の多くの人が出石の街を散策していました。
蕎麦伝来300年というのは、宝永3年(1706)に信州上田城主仙石政明公と出石城主松平忠徳公がお国替えとなり、その際仙石氏とともに信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられた事が、出石そばの始まりとされています。
出石の中心地から一歩奥に入った場所には、「こんな雰囲気の中で遊んだ事があるなぁ~」と、子供の頃の記憶を蘇らせてくれる、どこか懐かしく、親しみを感じる、景色が広がっていました。
豊岡や出石というと以前はかなり遠いイメージがありましたが道路も整備され、自宅(神戸市)からは一般道路を通ったのですが約3時間で到着していました。現在は北近畿豊岡自動車道が開通しさらに便利になったようです。