屋久島・紀元杉

屋久島の景色〝紀元杉〟




The Second Day Part2
屋久島の景色〝紀元杉〟

= Yakushima in Kagoshima Pref. =

全 21 枚

 2泊3日の鹿児島旅行。今回は2日目第2弾、屋久島にある〝紀元杉〟の写真です。樹齢千年を超す屋久杉、その中で車ですぐ傍まで行く事が出来る最も大きな屋久杉である紀元杉を訪ねた時の写真です。

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諸情報

紀元杉:標高1230mにある 樹高19.5m 胸高周囲8.1m 推定樹齢3000年の車で行く事が出来る最も大きな屋久杉です。ヤクスギランドから林道を車で20分程登った所にあります。周りには木道があり、すぐ傍まで行く事が出来ます。


屋久杉:屋久島の標高500mを超える山地に自生する杉で、このうち樹齢千年以上のものをヤクスギと呼び、樹齢千年未満のものは小杉(こすぎ)と呼んでいます。又、屋久島で植林された杉を地杉(じすぎ)と呼びますが、樹齢百年以内の小杉を指す語としても用いられています。

 栄養の少ない花崗岩の島に生える屋久杉は成長が遅く木目が詰っていて、降雨が多く湿度が高いため、樹脂分が多く腐りにくい特徴を持っています。そのため樹木の寿命が長いといわれ、樹齢二千年以上の大木が多く自生しています。縄文杉や紀元杉、ウィルソン株が有名です。


屋久杉の伐採:豊臣秀吉が島津義久に命じたのが最初と言われています。(用途は大坂城、聚楽第など諸説あり) 屋久杉はかつて神として崇められていた為、島民により伐採される事はなかったのですが江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた儒学者の泊如竹が屋久島の島民の貧困を目にして屋久杉の伐採を島民に勧めたのをきっかけに、1640年頃から本格的な伐採が始まりました。

 明治時代、1873年の地租改正で島の90%以上が国有地とされ、島民による勝手な伐採が制限されました。この時、生活の糧を奪われた島民が裁判を起こし、島民の敗訴に終るものの、島を保護地区と伐採地区に分離され、営林署ができました。太平洋戦争後は大規模な伐採が続き、伐採地区の杉は殆ど無くなってしまいました。1970年以降、屋久杉の伐採は禁止されています。


訪れた感想

 紀元杉への道は千尋の滝までの道ほど狭い所はありませんでしたが、やはり狭い場所も多く、それに加えて高所恐怖症の方だと目を開けていられないような崖の横を通る場所もありました。

 紀元杉のある場所が標高1230mと言うことで、海岸線から一気に登るのですから、高低差1km以上。よくよく考えると凄い事です。(さすがに耳が痛くなったりはしませんが・・・。)その高い位置にある紀元杉、凄く大きく立派な杉でした。

 推定樹齢3000年、いったいどれだけの人と出逢ってきたのでしょうか?大自然の凄さを身近に感じることが出来た紀元杉との出逢いでした。またその大いなるパワーを少しだけ別けて頂きたく、手の平をかざしていました。