開催日:10月27日(日) 距離:約12km 一般向き
参加者数:1619名 天候:晴れ
阪神・神戸三宮駅…東遊園地【スタート受付】⇒みなとのもり公園⇒神戸臨港線⇒敏馬神社⇒沢の鶴資料館⇒旧西国浜街道⇒こうべ甲南武庫の郷⇒乙女塚公園⇒神戸酒心館⇒白鶴酒造資料館⇒六甲大橋⇒リバーモール【ゴール】…六甲ライナー・アイランドセンター駅
「慰霊と復興のモニュメント」
平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災を忘れる事なく、震災の記憶・復興の歩みを後世に伝え、犠牲者の慰霊と市民への励まし、大規模災害に対する世界的規模での連帯による復興の意義をアピールする事を目的として、平成12年1月16日に設置されたモニュメントです。
地下には震災で亡くなられた方のお名前を刻んだ銘板が掲示されている「瞑想空間」があります。そこへの通路には建設募金に寄付された方のお名前も掲示されています。
神戸市出身、故柳原義達氏の彫刻作品〝愛「仔馬の像」〟
設置されたのは1966年だそうです。その頃既に東遊園地があった事に驚きましたが、調べてみると更に100年程さかのぼる1868年に神戸居留地で暮らす外国人が日本初の西洋式運動公園「外国人居留遊園」としてサッカーや野球、ラグビー等のスポーツを楽しんでいたそうです。神戸の地に有名なサッカークラブ・ラグビークラブチームが存在する事にも納得です。
神戸のランドマーク「こうべ花時計」
神戸市役所2号館北側にあった「こうべ花時計」、市役所本庁舎の再整備に伴う措置で、約500m海側・東遊園地南端の噴水があった場所に仮移転しています。こちらの場所にある方が花時計自体、より良く見える気がしますが、多くの人が目にする機会は減ったかと…。(※最終的な移転地はまだ未定です。)
みなとのもり公園
同じ日に行われていた神戸ウォーキング協会主催「みなと町神戸ツーデーマーチ(2日目)」のスタート地点として使われていました。東遊園地を抜けてすぐの歩道橋でわざわざ横断歩道を通るルートにしたのは、逆方向へと進むツーデーマーチ参加者との混雑を避ける為だったようです。
〝安全の鐘〟と〝大時計〟
実際に使われていた「鐘と時計」で、元々この地にあった「JR貨物鉄道株式会社・神戸港駅」の記憶を残すと共に、力強い復興を祈念しています。「みなとのもり公園」の正式名称は「神戸震災復興記念公園」です。
神戸商工貿易センタービル
貿易センタービルを上から見るとその形は四角形ですが、何故か私の頭に浮かぶイメージは子供の頃からずっと三角形をしています…。四隅が面取りされたような形をしているので厳密に言うと八角形ですが…。
長い遊歩道橋を抜けると桜並木の遊歩道が…あれ?
初めて通る道だと思って歩いていましたが、この桜並木を見てふと「桜が満開の時にまた来たい!」と思った瞬間記憶が蘇りました!逆方向ではありますが「KNTライナーウォーク」に参加した時、この道を通っています!あの時もこんなに歩き易い良い道があったなんて!と驚いていました!
神戸臨港線時代に使われていた鉄橋も遊歩道の一部として残っています。
この遊歩道橋、ハッキリと思い出しました!
最近、車ではほとんどこの辺りに来なくなりましたが、昔はよく通っていた場所で、実際にこの鉄道橋を走っている電車を見た事もあります。使われなくなった建造物等を再利用して昔の記憶を留めてくれている事にとても感謝します!
ここにもかつての鉄道橋の名残があります。
遊歩道はこの辺りで途切れていますが、昔の線路は・・・
・・・この先にあるマンションよりさらに向こう側、現在のJR摩耶駅辺りまで続いていたようです。この突き当りを左へ曲がればJRの灘駅、右へ曲がれば阪神電車の岩屋駅へと続きます。HAT神戸から遊歩道だけを使ってこの辺りまで歩いて行き来出来るなんて本当に凄い事です!
酒蔵見学を終え、ゴール地点の六甲アイランドを目指します。
海と青空(+フェリーさんふらわあ)、よく似合います!
結構足が痛みだしていた頃なのですが・・・
・・・この景色を見ていると足取りも軽くなっていました。
・・・と思っていたら、この日のゴール地点のアイランドセンター駅周辺はとても賑やか!
大勢の人が集まっていた理由は「六甲アイランドハロウィンフェスティバル&収穫祭2019」と言うイベントが開催されていた為です。すれ違うフェスティバル参加者の中には血まみれの人もいてドキッ!もちろんメイクですが!ゴール直前に思わぬ楽しい足止めです!
天気予報では晴れでしたが、この日の朝はかなり曇っていて雨が降るんじゃないかと傘を持参していきました…。重たいだけでした…。行き慣れた地域も2ヶ所でイベントがあったり、あまり馴染みのない場所を通ったりで、意外と新鮮な気持ちで楽しく歩く事が出来ました。
ゴール地点の六甲アイランドセンター駅周辺ではたくさんの人で賑わっていて、この町が全盛期の頃を思い出していました。いつもこれだけ大勢の人が訪れれば、またあの頃の楽しかった町に戻るのでは…とついつい思ってしまいました…。