中山道43番目の宿場町である馬籠宿(まごめじゅく)。かつては長野県木曽郡山口村でしたが、2005年2月越県合併により現在の岐阜県中津川市に編入されました。木曽路十一宿の一つでも有り、江戸側から十一番目、一番南の宿場町になります。
山の尾根のため水に恵まれず、火災が多いのが特徴です。明治28年と大正4年の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外全て消失し、その後復元されて現在の姿となりました。
島崎藤村の生地でもあります。石畳の敷かれた坂の宿場町、馬籠宿の景色をどうぞご覧下さい。(JR中央本線中津川駅から車で約25分、南木曽駅から車で約35分)
馬籠宿下入口近くにある櫓
中津川駅から車・バス等で訪れるとまず目に飛び込んでくるのは高台にあるこの大きな櫓(やぐら)です。坂が或る事はガイドブック等の写真で知っていましたが、馬籠宿がこんな高台の山の尾根に位置している坂の町とは想像もしていませんでした。
大きな櫓辺りからの景観
本当に高い所まで登ってきたものです。私達はここまで3kmほど離れた宿泊先から歩いて来る事も考えていたのですが、上り坂ばかりを走るバスの車内で、公共交通機関の有り難さを肌で感じていました。
バス停〝馬籠宿〟近く。この辺りは、ほぼ東西に平らな所ですが、南は下り北は上りの斜面途中になります。
昔はかなり重要な情報だったと思うのですが、「江戸へ…、京へ…」の文字には正直驚きました。 京へ五十二里半(約210km)、江戸へ八十里半(約322km)
朝が早かったのでほとんどのお店は開いていませんでした。
この馬籠宿から妻籠宿までの8km弱、さらに妻籠宿から南木曽駅までの3km強のウォーキングを限られた時間内で歩く予定だった為、開店まで待てず、ほとんど町並みのみを楽しむ散策です。それでも見応えのある町でした。