★パリ観光/ノートルダム大聖堂★
(Cathedrale Notre-Dame de Paris)
ノートルダム(Notre-Dame)とはフランス語で「我らの貴婦人」という意味を持ち「聖母マリア様」を指しています。世界各地 (フランス語圏の都市) に存在する、その名を冠した大聖堂・寺院・教会は「聖母マリア様」を称える為の聖堂として建てられました。
その中の一つ、パリのノートルダム大聖堂はセーヌ川の中州、シテ島にあります。1163年に建造が始まり、200年近くの年月を経て1345年に完成しました。ゴシック様式を代表するその建物は、随所に施された繊細で優美な彫刻と全体の色合いから「白い貴婦人」とも呼ばれています。
【ノートルダム大聖堂の火災については頁下部 「▼ 追記」 をご覧下さい。】
「3つのばら窓」の中で一番小さな西のばら窓は正面側にあります。
西のばら窓の前には、聖母マリア様の像があります。
他にも多くの彫刻物があり、単体の立像だけでなくタンパン(※)には…
キリスト教信仰を要約した装飾が施されています。御訪問の際は建物の外側にも注目してみて下さい。(※)中世西欧建築において扉口上部の三角形部分をタンパンと言うそうです。
入口近くには、お土産にもなる記念コインと、日本語で書かれた簡単な説明が記載してある小冊子の自動販売機が設置されています。その自動販売機は硬貨のみ使用可能で、紙幣は一切使用出来ません。周りには両替機も置いていませんでした。
小銭が足りなかった私達は、近くにいた警備員に尋ねた所、堂内の売店か受付に聞いてみてはとの事でした。早速売店へ行き「あの記念コインとショートガイドブックを買いたいから両替をして欲しい」とお願いした所、とても不機嫌な顔をされて断られました。
その後も断られ、最終的には受付で一人の方が仕方が無い…といった感じで自分の財布から両替してくれたのですが、同じ敷地内に有り、その中の物を買うのに、そこで働いている方があんなにも不機嫌な顔をするなんて…と少々その対応に疑問を感じてしまいました。
記念コインとショートガイドに興味のある方は小銭を用意して御訪問下さい。もちろん売店で他のものを買ってお釣りをもらうのも一つの手ですし、売店に気に入った商品が無ければ外にお手頃な価格のお土産屋さんもたくさん並んでいます(大聖堂北側の通り沿い)。
周囲をグルリと一周して写した「ノートル・ダム大聖堂」の外観の写真を次の頁 パリ散歩(PhotoGallery) に掲載しています。そちらも合わせて御覧下さい。
2019年4月15日午後6時50分(日本時間16日午前1時50分)頃に火災が発生し、尖塔(せんとう)と屋根の大半が焼け落ちるという目を疑うとてもショッキングで心が痛む悲しい知らせが届きました…。大聖堂は老朽化が進み、尖塔を中心に大規模な改修工事が行われていました。火元は屋根に組まれていた作業の足場付近とみられ、改修工事用エレベーターの電気回線がショートして火が出た可能性があるとの事です。
800年近くパリの人達だけでなく世界中の人達に親しまれてきた大聖堂の内部には歴史的価値の高い数々の文化財・美術品があり、消火活動と共にそれらの一部は運び出されたそうですが、危険を顧みず大聖堂内へと入って行った消防隊員の中には重傷を負った方もいるとの報道があり、無事回復する事を祈るばかりです。
気になるのが「石造りの大聖堂が何故〝完全な鎮火〟まで半日以上の時間がかかったのか?」と言う所です。ノートルダム大聖堂内部の天井は石造りで丸みを帯びた形をしていますが、それだけでは屋根として雨仕舞いの機能は果たせず、デザイン性も考慮して勾配のある三角屋根やそれを支える柱等が必要となってきます。重たい石でそれらを造るには不向きな為、屋根部分は木造となりました。今回その木造部分が燃えてしまい、高所と石の壁が消火活動を容易に出来なくする一因となってしまいました。
焼けて崩れ落ちた尖塔によって天井の一部は損傷しましたが、入口がある正面の2基の塔は焼失を免れた他、大聖堂の柱やアーチ等の内部構造は無事で石造りの建物自体の倒壊は免れました。ただ長時間火に炙られた石は見た目ではわからない損傷を受けている可能性が有り、そのまま使えるとは限らないそうです。
イエス・キリストが身に着けていたとされる「いばらの冠」、フランス国王ルイ9世(1214年~1270年)が着用した「チュニック」等、重要な文化財の一部は炎に包まれた現場から消防隊員により無事に運び出されました。
運び出せなかった大きいものですが、祭壇の後ろに飾られていた「キリストを抱く聖母マリアの像、ピエタ像」は難を逃れたそうです。中世からの部品が使われている「パイプオルガン」は構造部分に損傷を受けた恐れがあるとの事です。ステンドグラスで出来た「薔薇窓」は残念ながらほとんど割れてしまっています。小さなものは一部残っているそうですが、高温にさらされたガラスは恐らく変色や強度の問題で、そのまま使う事は無理かと…。
尖塔の先にあった風見鶏(銅製)、パリの人々を見守る御守りと位置付けられていたその風見鶏は激しい炎と尖塔の崩落による衝撃で破壊されたと思われていましたが、少し歪んでいるものの修復可能な状態で発見されました。その他火災前に改修工事の為、尖塔の周囲にある彫像は取り外されたばかりだったとの事で、難を逃れています。
実際にどれだけの被害が出たかはまだはっきりしていませんが、一部は危険な状態にあったり完全に消失してしまったものもあるようです。1つでも多くの重要文化財が修復可能な状態にある事・その一部でも残しておける事を願っています。
フランスのマクロン大統領は、今後5年以内に修復する事を目指すと表明しています。しかしそれを実現する為には多くの課題をクリアする必要があるとの事です。
まず第一に問題となるのが、屋根の修復には約1300本の木材が必要で当時と同じものが手に入るかどうか。またノートルダム大聖堂自体、ヴァチカン・パリ市と管轄権が複雑に分かれているそうなので円滑に進むかどうかも懸念されるところだそうです。一見して大丈夫そうな石造りの外壁も広範囲で修復が必要となれば、かなりの時間を要してしまいます。
割れてしまった薔薇窓に関しては再現出来るかどうかも疑問です。どれだけの時間を要するのか私には想像もつきません…。建物・文化財等も含め、完璧に再現・修復出来たとしても、それを良しとしない方もおられるだろうし…難しい問題です…。
実際には10数年以上掛かるとの声もあります。ゼロからの建設ではない為、比較する事は出来ませんが、ノートルダム大聖堂自体完成するまでには途中の取り替えも含めると着工から最終的な竣工まで2世紀近く(約182年)掛かっています。少しでも早い修復を望みつつも手抜きのないしっかりとした修復を期待しています。
希望の光と言うか胸を撫で下ろす情報もあります。建物の外観や内部の構造をレーザースキャナーを用いて作り上げた非常に精巧な3Dデータが4年前に完成していたとの事です。このデータを活用すれば、「以前と変わらない姿のノートルダム大聖堂が復元出来るだけでなく、より強度の高い建物に仕上げる事も可能になるかもしれない。」と大きな期待が寄せられています。
貴重な3Dデータを作成した建築家の「アンドリュー・タロン氏」は残念ながら2018年末に亡くならています。ご冥福をお祈りするとともに、敬意を表します。
資金面では「さすがノートルダム大聖堂」と思える程、早くも多額の寄付金が寄せられていますが、充分な資金が集まっているかどうかはわかりません。今後寄付をお考えの方も大勢いらっしゃるかと思いますが、既にノートルダム大聖堂への寄付金を狙った詐欺も発生している為、充分にお気を付け下さい。
「2019年8月6日、ノートルダム大聖堂の地域で高濃度の鉛汚染が発見された。」との報道がありました。「建物の屋根に使われていた大量の鉛が、火災によって安全基準値を大幅に上回る濃度を付近に飛散し、健康に害を及ぼしかねないレベルの汚染が続いている。」との事です。
この件に関して否定的な意見もあるそうですが、完全に安心する事は出来ません。パリを訪れるご予定がある方は、ハッキリとした情報を得るまでは鉛害対策も必要かと!健康を害さない様、充分にお気を付け下さい。